射水保護司会は富山県の中央部、射水市で活動する保護司により構成される団体です

第73回「社会を明るくする運動」について

(法務省ホームページより)

第73回“社会を明るくする運動”のテーマは

第72回に引き続き、「#生きづらさを生きていく。」です。

 

犯罪や非行の背景にある様々な“生きづらさ”に思いを致し、

各々の“生きづらさ”に寄り添い、人と人とが互いに支え合うコミュニティを築くことで、

安全で安心な明るい社会の実現につなげてまいります。

(#社明73 キーストーリー)

「きちんと一人、でも孤独じゃない。」

 

 

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仕事帰り。 日は沈み、夜空に星が瞬いている。

地元に戻り、協力雇用主が営む町工場で働いて一年。

やっと、一人が怖くなくなってきた。

 

この街で生まれ育った。

両親は仕事で忙しく、家にはいつも一人だった。

一人でいるのは不安だったから、できるだけ長く遊べる友達と一緒にいた。

幼馴染は、俺の家の状況を知っていて、よく家に入れてくれた。

幼馴染の家族も、温かく迎え入れてくれていたのをよく覚えている。

 

でも、だんだんと、自分と同じようなやつらと一緒にいることが増えていった。

いつもつるんでた仲間から紹介された「小遣い稼ぎ」。

最初はまさか、詐欺だなんて思わなかった。

正直怖かったけど、断ったら、もう仲間だと思ってもらえない気がした。

また一人になる、その方が怖かった。

 

20代前半で、刑務所行き。

正直、ほっとした。

刑務所から出た後、結局地元に帰るしかなかった。

 

でももう、仲間のもとには戻りたくなかった。

誰も俺のことを知らないところに逃げたくて、紹介された協力雇用主のもとで働き始めた。

最初は、周りとうまくやっていける気がしなくて、不安で押しつぶされそうだった。

 

でも、周りは案外、俺をすんなり受け入れてくれた。

失敗ばかりの俺に、先輩は「最初はそんなもんだ」と笑い飛ばして、根気強く教えてくれた。

行きつけの食堂のおばちゃんは、俺がしょぼくれていると、何も言わずおかずを一品増やしてくれた。

社長は、逃げ癖のある俺にずっと向き合って、色んな話をしてくれた。

一度は疎遠になった幼馴染も、昔と変わらず接してくれた。

 

ずっと一人になるのが嫌だった。

でも、誰かと一緒にいても、孤独だった。

仲間はいたけど、歪な繋がりだったんだと、今なら分かる。

 

あの頃と同じ街で、色んな人に囲まれて、暮らしている。

一人じゃ何もできない俺が、自立、だなんて、永遠に無理だと思っていた。

でも、一人でなんでもできることが自立じゃない。

 

自分の周りにいる人たちを頼ったり、助けてもらったりしていいんだ。

支えられている、見守られていることが、とても嬉しい。

そう思えてから、自然と前を向けるようになった。

もう一人は怖くない。 きちんと一人、でも孤独じゃない。