ボランティア雑感
三宅 陸夫
残された任期が少なくなる今日このごろ、まわりの人から「ボランティアを長くやってこられての感想は如何ですか」と時折尋ねられる。
振り返ってみると「初めの頃は」わけもわからずガムシャラにやっていた恐がありますが、そのうち、人と逢うのが楽しくなり、これが生活の一部にもなって行ったような気がします。
その頃は、ボランアイアと言う言葉は余り使われず、むしろ社会奉仕という意味であったと記憶しています。
明確にボランティアが登場してきたのは、阪神淡路大震災を境目にして、テレビニュースに出たのが始よ0だったようです。
新潟大地震、若狭湾のナホトカ号による重油流出事故と続き、そして記憶に新しい東日本大震災でした。
日本国民の意識が、普段の慣習に従っだ行動とは異なる事態が生じた時、そこから外れて独自の行動がいかに孤立した存在であるか又、自分の力の及ぶ範囲が限られたものであるか痛感させられる事になったのです。
今の日本は、工業化社会から情報化社会へと移行していますが、私達ボランティアにも又、同様のことが言えると思います。
人が何に価値を見い出すかはヽその人が自分で決めるものであ0ます。
情報との関係で言うならば、ボランティアにとっての報酬は、「情報をもらう」と言うことであります。
個々では、「耳よりな話があ0ますよ」というような、すでにある情報を教えてもらうことで、得をすることではない。
自分が始めたネットワークを、その人なりの反応によって受け止めてくれるということで交流が生まれ、情報が発生する現場に立ち会うということが、ボランティアにとっての報酬なのだと思います。
最後になりますが、残された任期を精一杯楽しく、悔いのなきものにしたいと思っています。
愛知県千種謖区保護司会より ホゴちゃん来訪?!
広報20号 サポートセンターだより