射水保護司会は富山県の中央部、射水市で活動する保護司により構成される団体です

更生保護女性会だより(広報24号)

射水市更生保護女性会理事研修に参加して

12月11日(月)、冬の雨、あいにくと思う心をなだめながらバスに乗った。

「雨の日ゆえに、年末の掃除など家事をちょっとおいて研修に臨みやすいかも。良い日になったのでは…」の会長挨拶。全くその通りだと思った。

変えようのない事なら何事も良いととらえ活かすと、早くも心の研修互いに況、連絡、報告しあっているうちに最初の研修場所、富山県美術館に到着。企画展は開館記念展パート2「素材と対話するアートとデザイン」。木や金属、ガラスなど素材とその変容をテーマとした作品群。どの作品にもデザインの斬新さや素材の隠された魅力に驚き、愉しんだ。常設展では、藤田嗣治の「二人の裸婦」をはじめ名だたる絵画の数々、『20世紀の椅子の名作展』などを各自思い思いに堪能し、感性のリフレッシュ?

場所をアーバンプレイス14階『俵屋』に移してランチ。手頃な値段ながら、しく季節を盛り込んだ料理を味わい、抜群の眺望の中、日頃の活動に生かそうと情報交換。

午後は「運河のほとりのガラスのやかた。遊んで、学んで、感じて、ここはキミが夢と出会う場所」と銘打った『KNBいりふね子供館』を訪れた。

案内員の方のお話を聞き、放送局らしいアイディア一杯の設備を体験したり、国内外えりすぐりの絵本に触れたりした。

大いに見聞を広めた一日になった。

            (S・T) 

 

養得園給食活動

「養得園給食活動は1月7日、塚原地区と庄西地区ですよ」と案内を受け、塚原地区と庄西地区で打ち合わせを行い、それぞれの献立の準備に入りました。

「正月だからやはり黒豆の煮者も必要かね」などと言いながら煮物、酢の物、一口カツ、ごぼうのきんぴら、ハムやたまご焼き、生野菜など彩にも気を配り、盛り付けをしました。

担当者は、地区が違っても顔見知りで経験者ばかり、和気あいあいと活動することができました。 料理方法には各家庭によって違う点もありますが、「これはこうして切れば、見栄えもよくおいしそうだね」とお互いに参考になることも多々あり、とても良い機会となります。

いつも十人以上の食事を準備していましたが、今回は八名分でした。なんでも多い方が良いと思いすが、この活動は、援助を必要としている方が少ないほうがよいわけで、何か安堵しておりました。

話によれば養得園は老朽化のため、全面改築されるとか。収容人数も18名から20名になるという事でした。

この給食活動が少しでも社会復帰の役に立てればうれしく思います。

季節は冬、天候を気にしておりましたが、晴れ晴れとしたとても良いお天気に恵まれ、眼の前の雄々しい立山連峰も応援してくれているようで、何かしら満足感に浸りながら帰路につきました。

(S・F)

 

更生保護法人富山養得園について

富山市太郎丸に更生保護施設富山養得園があります。最初に施設ができたのは明治32年のことです。

本園は、富山保護観察所の指導のもとに、非行した少年、刑務所から出所した者、刑の執行猶予や起訴猶予の処分を受けた者で、身元引受人がなく保護を必要とするものを収容しています。

規律ある中にも、自由で暖かい雰囲気に包まれた生活の中で、生活指導、更生相談、就職のあっ旋などの補導援護を行って自立更生させ、社会復帰をさせることを目的として運営されています。

私たち更生保護女性会の活動のひとつに陽得園への給食支援があります。毎週日曜日の夕食を、県内の更生保護女性会で分担して行い、年45回にもなります。

各地区の皆さんは、限られた予算の中で工夫をこらしメニューを考えます。

季節の新鮮な野菜を持ちより、気持をこめて手作りします。

会場では皆さん笑顔です。

母の心で作った家庭料理を喜んで食べてくれる様子がみえてきて、自分たちも元気になれるからです。

当日参加できない会員の方から、材料等の提供を受けることもあって、会員間の絆をうれしく思います。

 

罪を犯した人が深く反省し努力することはもちろんですが、同じ社会に暮らす私たちの理解と優しい気持ちをもっての応援・支援は、ささやかでもきっと大きな後押しになります。

「何かあったら助けるよ、安心していいよ」支える方法は様々です。

私たちに何ができるのか一緒に考えて、できることから始めましょう。

犯罪や非行のない、安心安全な明るい社会を目ざして。

(T・K)

 

 

吾作は身を投げた~更生保護施設の始まり(法務省ホームページより)

更生保護施設の誕生の歴史には、ある悲しい出来事がありました。明治時代のこと、静岡の監獄から釈放された吾作という一人の男がいました。

かつてはあらゆる罪を重ねた吾作も、副典獄(今でいえば刑務所の副所長)であった川村矯一郎の熱心な指導に心を入れ替え、真人間になることを誓って監獄を後にしました。

しかし10年ぶりに家に戻ると、妻は別の男性と暮らしており、やむなく親類を頼ったものの追い返され、宿なしの見となってしまいました。

せっかく更生を誓ったというのに、親族からも見捨てられた吾作は、川村典獄に宛てた書置きを残し、ついには池に身を投げ自らの命を断ってしまいました。

吾作の書置きを読み、強く心を痛めた川村副典獄は、実業家の金原明善(きんばらめいぜん)に相談しました。

金原は地域の人々に呼びかけて協力を募り、明治21年には、監獄から釈放された人を保護する施設を作りました。それが「更生保護施設」の始まりです。

 

島原手延べそうめん販売収益の報告

 

  平成29年度収益金

   157,950円

     (243箱分)    

今年度も、富山県更生保護女性連盟の事業として、島原手延べそうめんの販売が企画されました。

当事業の収益金は、富山県更生保護女性連盟および地区更生保護女性会の活動支援に充てられます。

平成三十年度に富山養得園全面改築が行われる事から、建築に伴う寄付金の要請があり、本会としましても、2年にわたり拠出することとしています。

お陰さまで、多くの方々のご尽力により収益が倍増しましたことをご報告しますとともに、皆様の多大なるご協力に心より感謝申し上げます。